■平成17年12月
大正12年創業の老舗バーです。
スタンダードカクテルである「チェリーブロッサム」の生みの親であるバーテンダー、田尾多三郎氏が創業者のお店です。
デーブが初めて行ったのは、昭和から平成に変わるチョッと前のこと、カクテルを覚え始めたばかりのころでした。
創業者の田尾氏は既に亡くなっていて、奥さんの幸子ママの時代です。
初めてお邪魔したとき、デーブが20代前半のころ生半可な知識で酒を飲んでいたデーブは、カクテルを覚えたくてこの店のドアを開けました。
本格派のバーと本で仕入れていた情報しか知らなかったデーブは、カウンターの中に着物を着たオバチャンがいるので・・・?・・・・と思ったのですが、この「オバチャン只者じゃない」というと失礼ですが、慇懃無礼で口うるさい
デーブが最初の一杯で、マティーニを頼んだら、ステアグラスにジンとベルモットを入れビターを振った後、数回ステアしただけで、カクテルグラスになみなみと注ぎ、パールオニオンを入れて表面張力状態のグラスをそっと目の前に出して、「口から行ってください」というので、マティーニにパールオニオンって変わってますね、ギブソンとは違うんですか?と尋ねると、「これがうちの店のマティーニです。」それ以上聞けるムードではないので、飲兵衛オヤジのようにカウンターに置かれたカクテルグラスに口を近づけてマティーニを一口・・・美味い!
2杯目は、ギムレットを頼みました。ジンとライムシロップをシェーカーに入れ数回軽くシェイクして塩でスノースタイルにしたカクテルグラスに注いでマティーニと同じように・・・これも変わってますね、と尋ねると、「お店には、そのお店のやり方があります。」嫌味なく優しくキッパリと答えてくれた印象が強く残っています。
マティーニもギムレットもカクテルブックのレシピや一般的な流行のレシピとは違うものが出てきても、美味いので文句は言えません。また文句を言っても生半可な知識じゃ通用しないでしょう・・・知り合いのバーテンダーに、この店のことを聞くと、あの店は・・・と言葉を濁す人もいますが、デーブはこの店と、その場に居合わせたお客さんの飲み方をみて、酒の飲み方や酒場の選び方ってこんな感じなのかな・・・と教えられた気がします。
こう書くと、頑固なお店のようですが・・・お店への問い合わせの電話に「ジーパンでも構いませんよ。うちは、お酒を楽しむ場所ですから、ど~ぞ」と優しく答えていたのが印象的でした。
その後、デーブは横須賀に転勤してパリに行ける機会も少なかったのですが、平成12年の春に県警本部勤務になったとき、毎日店の前を通っていたのですが、お店が閉まっている日が多く気になっていました。
そうしているうちに、幸子ママが亡くなったと人伝に知り、またいい店がなくなっちゃったな・・・と思ってシャッターが閉まったままの店の前を通って通勤していました。
警察を退職して、自分で店を持つようになってからは、夜に飲みに行く機会が減りって、その後、この店の消息は分からなかったのですが、店を閉めて再就職した平成17年の冬、店の前を通ったとき店の看板に明かりが点いていたので、半信半疑で店に入りました。
カウンターに入っている女性に話を聞くと、その女性は、幸子ママの息子さんの奥さんでした。
まだまだ姑のようには・・・と謙遜していましたが、美味しいお酒をご馳走になりました。
幸子ママよりとっつきやすい人かな・・・ |